HOME > 代表対談 > ×マークエステル・スキャルシャフィキ(2/6)
片山 Bonjour
マーク氏 Bonjour
片山 実は、知り合いからマークエステルさんのお話を聞き、是非一度お会いしたいと思っておりました。 本日はこうしてお目にかかれて大変うれしく思います。
マーク氏 私も片山会長が取り組んでおられる日本をよくするための様々な活動のことを知り、大変興味を持っておりました。 私のほうこそ光栄に思っています。
片山 それはありがとうございます。 さて、マークさんとお呼びしてよろしいでしょうか?
マーク氏 はい、だいじょうぶです。
片山 マークさんは、すごくきれいな日本語を話されるので驚きました。
マーク氏 私は日本が好きなので、日本語はすぐに覚えました。
片山 マークさんが最初に日本に来られたのは1970年の大阪万博の時とか。
マーク氏 その通りです。 その時、私はラオスのフランス大使館勤務を終え、 パリでモーリス・シューマン外務大臣の秘書をしていました。 休暇を取って万博を見に来たのが私にとって最初の日本訪問になります。
片山 私は海外に多くの知人がいますが、共通しているのは、 一度日本に来ると誰もが日本の虜になる、日本に魅せられるということです。 ヨーロッパの人に限らず、アメリカ人、オーストラリア人、アフリカ人・・・みなさん日本が好きになる。 マークさんもやはり日本に惹かれましたか?
マーク氏 ええ、大変惹かれました。 しかも私の場合、初めて日本を体験したことによって、大使館を辞めて画家になることを決心することになりましたからね。
片山 パリ大学を卒業され大使館に勤務・・・ エリートの道を進んでおられたのにどうしてまた画家になろうと。
マーク氏 初めて日本に来た1970年、 京都の清水寺で一枚の掛け軸を見る機会がありました。 そこに水墨画の"滲(にじ)み"の表現がありました。 あまりの美しさに私はしばらく見とれてしまいました。 その時、私は油絵でもこの滲みは絶対に表現出来る、 絶対に表現したいと思ったのです。
片山 運命的なお話ですね。
マーク氏 運命だったと思います。 私が育ったコート・ダ・ジュールは海がきれいで、たくさんの自然に囲まれたところです。 私は小さい頃から絵を描くのが好きで、その美しい自然をスケッチしていました。
片山 絵を描くという天賦の才能をお持ちだった訳ですね。
マーク氏 自分で言うのもおかしいですが、才能はあったと思います。 しかし、父は私が画家の道に進むことに大反対で、 私自身も長い間画家になることは諦めていました。
片山 ヨーロッパでも有数の名門の家系にお生まれになったマークさんには、お父様もフランスという国を代表するエリートの道を期待されていたのでしょうね。
マーク氏 その通りです。 父は絶対的な存在でしたから。
片山 父親の存在の大きさはよくわかります。 私は父を22年間介護しました。 寝たきりの父が無言でとても大切なことを教えてくれたと、 いまになると思います。 それは、いかに自分の生を全うするかということです。 つまり、死生観であり哲学ですね。
マーク氏 自分に与えられた命をいかに生きるかということの大切さですね。 私の場合は、清水寺であの滲みを見て自分の使命を感じました。 そして、画家になることを決心しました。 その時は父も賛成してくれました。 私の強い思いが父を動かしたのでしょうね。
片山 ゴーギャンの作品にもある "我々はどこからきて、どこへ行くのか"というすべての人間が抱えている 生きることの不可思議さ・・・マークさんはご自分が進むべき道をはっきりと見つけたわけですね。
マーク氏 はい、水墨画の滲みの中に・・・